慶應通信に行く気満々だった40代の私が、沖縄旅行から帰って迷い始めた

沖縄の海

遡ること5月上旬。
友だちから突然、LINEがきた。

「慶應大の通信、4年通っても100万円くらいしかかからないらしいよ。卒業はかなり難しいみたいだけど、卒業できたら慶應ガール🥹 受けてみない?」

いやいや。
40代にもなって、今から大学なんて。

最初はそう思った。完全に他人事だったし、私には関係のない話だと思っていた。

でも。

「学歴に慶應が加わる」

そう想像した瞬間、
あぁ、いいな。と思ってしまった。

目次

やっぱり「慶應」という名前には惹かれる

私は昔から、資格や学歴で自分を飾るのが好きなのだと思う。
多趣味なのもそうかもしれない。

何かができる自分。
何かを知っている自分。
何かを持っている自分。

そういうものをひとつずつ増やすことが、たぶん好きなのだと思う。

だから「慶應卒」という肩書きに惹かれたことも、否定できない。
むしろ、かなり惹かれた。

友だちからLINEをもらってから、私はすぐに慶應義塾大学の通信教育課程の出願について調べ始めた。学費についても、公式サイトの学費シミュレーションで実際の金額を確認した。

私は学士入学になるので、コースによっては友だちが言っていた金額より抑えられそうだということもわかった。

でも通信だから簡単、という世界ではないようだ。
自分で勉強を続けて、レポートを書いて、スクーリングに参加して、とにかく自分で自分を管理しなければいけない。

でも私は、どちらかというと独学が苦にならない。
一人でコツコツ調べたり、勉強したり、分析したりするのはむしろ好きなほうだと思う。

だから、
「もしかしたら私、向いているんじゃない?」とも思った。

やるかやらないかは後で決めればいい。
とりあえず願書を見てみよう。

そこからは結構、本気だった。

「なぜ慶應なのか」まで本気で考えた

出願には、志望動機だけ書けばいいわけではなかった。
書評を書いたり、「なぜ慶應義塾大学の通信教育課程なのか」を自分の言葉で説明したりする必要がある。

そこで困った。

慶應という名前に惹かれています。
なんて書けるわけがない。

いや、それも本音ではあるのだけれど、それだけで何年間も勉強を続けられるとは自分でも思わない。
だったら、まず慶應義塾とは何なのかを知ろうと思った。

本屋で福沢諭吉の『学問のすゝめ』の現代語訳を手に取った。
有名すぎる本なのに、恥ずかしながら私はそれまで内容をほとんど知らなかった。
読んでみて驚いた。

明治初期に書かれたはずなのに、あまり古く感じない。
時代の隔たりを感じず、「少し前に誰かから聞いた話」みたいに読めるところがあった。

書評を書くにあたっては、
近藤康太郎さんの『本をすすめる 書評を書くための技術』(本の雑誌社)も参考にした。

書評なんて普段書かないので、「そもそも何を書けば書評になるの?」というところからのスタートだった私には、とても参考になった。

志望動機も書いた。
書評の下書きも書いた。

「なぜ慶應なのか」も、自分なりにかなり真剣に考えた。

つまり私は、「受けようかな」と口で言っていただけではなかった。
かなり入口まで来ていた。

沖縄の海

そんな状態のまま、沖縄へ行った

願書のことを考えながら、夫と沖縄へ行った。
3泊4日の旅行だった。

朝、目覚ましに起こされなかった。
朝陽で自然に目が覚めた。

いつもなら時計を見る。
予定を考える。
仕事を考える。

あれをやらなきゃ、これもやらなきゃ。

でも、その朝は違った。

ゆっくり目が覚めて、隣には夫がいた。
こんな時間を持ったのは、いつぶりだろうと思った。

私は以前、かなり旅行をしていた。
海外旅行は70〜80回くらい。40カ国以上を旅して、一人でバックパッカーをしたこともある。

世界にはいろいろな暮らし方があって、いろいろな時間の使い方があることも見てきた。

そのはずなのに、最近の私はすっかり時間に追われる生活に戻っていた。

期日がある。仕事がある。
自分がいないと会社が回らないようなこともある。
家に帰ってきても顧客対応をしている。

常に何かをやっている。
やることが多すぎる。

沖縄で3泊4日過ごしただけなのに、その感覚が少し変わった。

「ああ、私、本当はこういう時間が欲しかったんだ」

と思った。

「この人を老後、守れる自分になりたい」と思った

普段、一緒に生活していると夫について特別深く考えることはあまりない。
いることが当たり前だから。

でも沖縄では、隣にいる夫を見ながら、とても感謝した。

これまで私を支えてくれたのは、この人なんだよな。
と思った。

そして、

「この人を老後、守れる自分になりたい」
と思った。

それまで私は、かなり自分のことばかり考えてきた。

学歴をつけたい。
資格を取りたい。
これもできるようになりたい。
あれもやりたい。

自分に何かを足すことばかり考えていたような気がする。

でも、これからは少し違うのかもしれない。

夫に何かあったとき、自分一人で自分を支えられる力。
できれば夫まで支えられる力。

そちらのほうが必要なのではないかと思い始めた。

沖縄から帰って、現実を考えるようになった

沖縄から帰ってきてから、慶應通信について考える内容が少し変わった。

それまでは、「受けられるか」「卒業できるか」「自分に向いているか」ということを考えていた。

でも帰ってきてからは、
「これからの数年間を、大学に使いたいのか」と考えるようになった。

慶應通信に入りたい気持ちは、今もある。
難しいことに挑戦するのも好きなのだと思う。

もし誰にも「慶應卒」と言えなかったとしても、難しいものを最後までやり切れたら、たぶん私は嬉しい。だから、学歴だけが目的ではないのだと思う。

でも現実には、卒業まで何年かかるか分からない。
順調にいかなければ、5年以上かかることだってあるかもしれない。
そうしたら私は50代になっているかもしれない。

そのとき私は思った。

そこから老後の資金づくりをするの?
今、体が動くうちに稼がなくて、いつ稼ぐんだろう。

毎日のように物価高のニュースを見る。
親も年齢を重ねている。
自分や夫の健康だけではなく、これから高齢の親の健康や介護について考える場面も出てくるかもしれない。

私が悠々自適に暮らせていて、経済的にももっと余裕があるなら、迷わず挑戦していたかもしれない。

でも今はそうではない。

今回を逃したら、同じ条件では挑戦できないかもしれない

それでも、簡単には「今回はやめよう」と決められない。
その理由のひとつが、以前通っていた大学の成績証明書だ。

大学の案内には保管期間が10年と書かれていた。

私の場合、おそらくその期間を過ぎているような気がする。
それでも今回は取得することができた。

だから余計に思う。
次に「やっぱり慶應通信に挑戦しよう」と思ったとき、もう成績証明書を取得できないかもしれない。

そうなれば、今と同じ条件で学士入学を考えることは難しくなるかもしれない。

だったら、今なのでは?
ここまで準備したんだから、とりあえず出してしまえば?
そんな気持ちもまだある。

もし私が30代前半だったら、たぶんこんなに迷わなかった。

「やってみよう」
それで終わった気がする。

でも今は違う。

自分の感覚としては、昔とそんなに変わっていない。
やりたいこともある。
新しいことに挑戦するのも好き。

なのに、年齢だけが上がっている。

そこがちょっと悔しいと思う。

大学に行かなくても、学ぶことまでやめるわけではない

だからといって、学ぶのをやめたいわけではない。むしろ学びたいことは山ほどある。

語学が好きなので、英語、中国語、スペイン語はこれからも勉強したい。
余力があれば韓国語、ドイツ語、フランス語もやってみたい。

株やFXについても、今はまだ初心者だけれど、もっときちんと勉強してみたい。
AIも学びたい。
AIを使って何かできないか、とも思っている。

そう考えると、これは、
「大学で学ぶか、学ばないか」という話ではないんだと思う。

これから自分に残されている時間を、何を学ぶために使うのか。
何に使えば、これから欲しい暮らしにつながっていくのか。

そっちの話なのかもしれない。

これ以上、自分で自分を忙しくしていいのかな

慶應通信に入れば、当然レポートがある。
締切がある。スクーリングもある。

今よりさらに時間がなくなるのは、おそらく避けられない。

自分一人で完結する問題でもない。
夫や家族との時間も減るかもしれない。
周りに配慮してもらう必要もあるし、反対に、私自身がサポートしてもらわないと続けられない場面も出てくると思う。

そこで最近、こんなことを考える。

今ですら時間に追われているのに、私はさらに自分から「やらなければいけないこと」を増やそうとしているのではないか。

もちろん、大学で学ぶことは楽しそうだと思う。
でも、これからの人生もずっと何かに追われながら生きたいのかと言われると、少し違う。

沖縄で朝陽に起こされた、あの朝のような時間。

夫と旅行をしたり。
何もない朝にゆっくり起きたり。
今日は何をしようかな、と考えられたり。

これからは、そんな時間をもっと増やしたい。

そのために今、少し頑張って稼ぐ力をつけるべきなのではないか。

そんな気持ちが強くなっている。

それでも、まだ願書を前に迷っている

ここまで書いておきながら、私はまだ慶應通信を諦めきれていない。

やっぱり「慶應卒」には憧れる。
難しいものに挑戦してみたい。

ここまで志望動機も書いた。
書評も考えた。
成績証明書も取った。

今回を逃したら、同じ条件ではもう挑戦できないかもしれない。

だから、まだ迷っている。

ただ、今の私は「挑戦できるかどうか」より、その挑戦に、これからの数年間を使いたいのか
を考えるようになった。

自分の感覚は昔とほとんど変わっていないのに、時間だけはちゃんと進んでいる。
夫も、親も、そして私も年を重ねていく。

今までの私は、自分に何を足すかばかり考えてきた。

でもこれからは、何を増やすかではなく、どんな時間を残したいか。
そちらを考える時期に来ているのかもしれない。

願書受付期間は進んでいる。

まだ答えは出ていない。

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この記事を書いた人

気になることは、とにかく「まずやってみる!」タイプです。

海外留学、語学学習、資格、趣味など、これまでいろいろ挑戦してきました。取得した資格は20種類以上。でも、途中でやめたことや、続かなかったこともたくさんあります。

このブログでは、始めた理由、挫折した理由、実際に試してわかったことを正直に記録しています。

現在は「話せない英語学習者」として英語を学び直しながら、中国語にも挑戦中です!

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