「続けられないかもしれないと悩むくらいなら、やめたほうがいいんじゃない? そこまでの気持ちってことでしょ」
慶應義塾大学通信教育課程に申し込むか迷っていると夫に話したら、返ってきたのはこの言葉だった。
私はたぶん、もう少し違う答えを期待していた。
「とりあえず願書を出してみたら?」
と背中を押してもらうか。
あるいは、
「そこまで迷うなら、別のことに時間を使ってもいいんじゃない?」
と、やめる方向に背中を押してもらうか。
どちらにしても、誰かに決めるきっかけをもらいたかったのかもしれない。
夫の返事は、思っていたよりずっとさっぱりしていた。
言われたときは少し落ち込んだ。
でも、たしかにその通りでもある。
入学もしていないのに、もう「続けられるのか」と考えている
少し前まで、私は慶應通信に入る気満々だった。
法律を学びたいと思っていたし、仕事にもつながると思っていた。
独学で勉強することは、どちらかというと得意なほうだと思う。
通信なら仕事をしながら学べるし、学費を抑えられることも大きな魅力だった。
だから願書の準備を始めた。
志望動機を書いたり、必要な書類を確認したりしている。
それなのに、まだ願書すら出していない今の段階で、
「本当に続けられるのかな」
と考えるようになってしまった。
前回の記事にも書いたように、沖縄旅行をきっかけに、これからの時間を何に使いたいのかを考えるようになった。

- 大学に使う時間。
- 仕事に使う時間。
- 語学を勉強する時間。
- 家族と過ごす時間。
以前は「法律を学びたい」という気持ちが100%だった。
今も学びたい気持ちはある。
でも感覚としては、70%くらいになっている。
正直に言えば、「慶應」という学歴も欲しい
夫と話したあと、もう一度、志望動機の下書きを開いた。
書き直してみれば、自分の気持ちがはっきりするかもしれないと思った。
そこで改めて考えた。
私は、なぜ慶應通信に行きたいんだろう。
法律を学びたい。
それは本当だ。
仕事につながる知識も身につけたい。
それも本当。
でも、それだけではない。
正直に言えば、私は「慶應」という学歴が欲しい。
もし同じように法律を学べる別の通信制大学だったら申し込むか、と聞かれたら、たぶん申し込まない。
慶應だから行きたい。
そこは自分でもかなりはっきりしている。
では、なぜ慶應の学歴が欲しいのか。
考えてみると、いちばん近いのは「自分に自信を持ちたい」だった。
学歴があれば、自分に自信を持てるのか
私は、思い立ったときの行動はわりと早い。
休むことなく行動を始めるものの、時間がたつと調べ始める。
比較する。
分析する。
そうしているうちに、
「本当にこれでいいのかな」
「こっちのほうがいいんじゃないか」
と不安が出てきて、前に進めなくなる。
結論を出すのが苦手だ。
今回の慶應通信も、まさにそうなっている。
最初はやる気満々だったのに、調べたり考えたりしているうちに迷い始めた。
だからこそ、もし慶應通信を卒業できたら、
「私はちゃんと最後までやれた」
と思えるのかもしれない。
仕事の上でも、一般常識や知識を持った、社会人として相応の相手だと自分自身が思えるようになりたい。
実際に誰かから「知識がない」と言われたわけではない。
たぶん、自分に自信がないからそう思うのだと思う。

英検1級でも、自信はつくと思う
一方で、今は英語を勉強したい気持ちもかなり強くなっている。
学生時代にアメリカに留学したことがあるのに、「英語が話せない」ということが、ずっと自分の中に引っかかっている。
英語をやるなら、目標ははっきりしている。
英検1級を取りたい。
もし、
「慶應通信を卒業するのと、英検1級を取るのと、どちらが自信につながる?」
と聞かれたら、答えはたぶん両方だ。
本当は、両方手に入れたい。
慶應の学歴も欲しい。
英検1級も欲しい。
でも、時間には限りがある。
両方を同時にやって、どちらも疎かになることが一番怖い。
一番怖いのは、「入ったのにやめた」という傷が残ること
英検1級の勉強が思うように進まなかったとしても、また勉強すればいいと思える。
でも、慶應通信は少し違う。
学費もかかる。
時間もかかる。
数年間続くかもしれない。
だから、
「願書を出さなかった後悔」と、
「入学したのに続けられなかった後悔」と、
どちらが怖いかと考えたら、今は後者のほうが怖い。
「入ったのにやめた」
という傷が、自分の中に残りそうだからだ。
自信をつけたくて始めたことなのに、途中でやめたことで、今より自信をなくしてしまったら。
そう考えると怖くなる。
まだ合格したわけでもない。
願書すら出していない。
なのに、もう途中でやめるときのことまで考えている。
我ながら、ずいぶん先まで心配していると思う。
本当は、一人で決めて一人で走り切るのが不安なのかもしれない
慶應通信をやろうと思ったのは自分だ。
誰かに勧められたわけではない。
それでも、実際に何年間か勉強を続けることを考えると、自分一人の気持ちだけで走り切れるのだろうか、と思う。
大変な長期戦になったとき、周りのサポートがなければ難しいような気もしている。
だから夫に相談したときも、本当は少し背中を押してほしかったのかもしれない。
自分で決めたい。
でも、自分だけで決めるのが怖い。
その矛盾も、今回の迷いの中にはある気がする。
願書を出すかどうか、まだ答えは出ていない
ここまで考えたら、
「じゃあ慶應通信はやめて、英語をやればいい」
という話にも見える。
商談のように綺麗にまとまる話でもない。
私はまだ法律を学びたい。
慶應という学歴も欲しい。
英検1級も取りたい。
本当は全部やりたい。
でも全部やろうとして、全部中途半端になるのは嫌だ。
そして一番怖いのは、自信をつけるために始めた慶應通信が、「私は最後まで続けられなかった」という新しい自信のなさにつながってしまうことだ。
今日はまた、願書の下書きを開いた。
まだ、出すとも出さないとも決められていない。
以前の私は、迷っている自分を見て「また決められない」と思っていた。
今もその気持ちはある。
ただ今回は、迷いながらもう少し考えてみたい。
慶應に行きたいのか。
自信が欲しいのか。
法律を学びたいのか。
それとも、英語を優先したいのか。
たぶん私は今、その全部を一緒に考えてしまっている。
願書を出すまでに、どこまで整理できるのか。
まだ、答えは出ていない。


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